龍王寺(りゅうおうじ)(竜王寺 雪野寺 野寺 へちま寺 ぜんそく寺)白洲正子氏ゆかりの寺

行基建立のお寺 天台宗 龍王寺(雪野寺)滋賀県・竜王町 近江湖東二十七名刹霊場 第25番札所 喘息封じ ボケ封じ(へちま加持祈祷)

龍王寺(りゅうおうじ)雪野寺 龍王寺(雪野寺)滋賀県・竜王町 天台宗 雪野山 龍王寺(竜王寺)近江湖東二十七名刹霊場 第25番札所 ぜんそく封じ・ボケ封じ・へちま加持祈祷

創建1300年を迎えた龍王寺
龍王寺の宝物 重要文化財等
梵鐘に残る美女と大蛇の伝説
雪野寺(のちの龍王寺)を詠んだ歌
行事
龍王寺へのアクセス
竜王町観光協会


雪野山(竜王山)山麓にある龍王寺
龍王寺は創建1300年を迎えました
雪野山の麓にある龍王寺(りゅうおうじ)は、奈良時代初め(710年)に天皇の勅令で、行基により「雪野寺」として開山されたとても古い天台宗のお寺で創建1300年を迎えました。医を司る薬師如来をご本尊としているため毎年中秋(十五夜の日)に喘息病をへちまに封じ込める「へちま加持祈祷」を行います。
白洲正子氏の著書「近江山河抄」に「雪野寺」として紹介されています。
平成28年9月15日(木)ぜんそく封じ へちま加持・祈祷を開催いたします!

喘息封じ・ボケ封じ へちま加持祈祷 天台宗・龍王寺
ぜんそく封じ・へちま加持祈祷は毎年中秋(十五夜の日)龍王寺にて開催

平成28年度へちま加持祈祷は

日 時 9月15日(木)(毎年日程は変わります)
午前 7:00〜午後 5:00まで順次祈祷
(午前中4回・午後3回)
へちま加持祈祷 詳細はこちらです→
場 所 龍王寺(りゅうおうじ) 滋賀県蒲生郡竜王町川守 41
お問い合わせ 住職 天台宗 天王山 松林寺
牧川 栄俊氏(0748−52−2911


龍王寺の由来とあらまし
龍王寺 山門 龍王寺 境内
龍王寺 山門 龍王寺 境内
雪野寺跡 龍王寺 境内
龍王寺
雪野山(滋賀県蒲生郡竜王町)南山腹にある天台宗の寺院で、白鳳時代の終わり奈良時代の初め平城京遷都の年、和銅三年(710年)元明天皇(天智天皇の第4皇女)の勅令で、行基菩薩により「雪野寺」俗称「野寺」として創建されました。
雪野寺は、奈良時代から平安初期にかけて隆盛を極め、千坊千人の衆徒があったと言われています。
宝亀8年(777年)小野時兼から寄進された梵鐘は霊験あらたかなる梵鐘として数々の伝説が生まれ、そのことが平安時代、寛弘四年(1007年)一条天皇のお耳に入り、「龍寿鐘殿」(りゅうじゅしょうでん)の勅額(直筆の額)を賜りました。以来、雪野寺から「龍王寺」と改められました。

【寺名】:龍王寺(りゅうおうじ)<創建時:雪野寺><通称:野寺> 
【山号】:雪野山
【宗派】:天台宗
【開基】:行基
開創】:710年
【本尊】:薬師瑠璃光如来
主な仏像】
本尊薬師瑠璃光如来坐像(町指定文化財)平安時代後期作
木造聖観音立像(町指定文化財)平安時代後期作
木造地蔵菩薩立像(町指定文化財)平安時代後期作
木造十二神将立像(重要文化財)鎌倉時代後期
【梵鐘】:重要文化財 奈良時代
【雪野寺跡】(境内):滋賀県指定史跡
石積基壇等が検出、童子像や菩薩形、神王形など塑像片が大量に出土
現在の龍王寺の南辺を南端、天神社の参道付近を東端とする約1町四方にわたる広大な寺院であった
【近江湖東27名刹霊場】:第25番
【ご利益】:ぜんそく病平癒・ボケ封じ・病気平癒
【主な行事】:節分会、へちま供養・へちま加持祈祷、ぼけ封じ祈願
【拝観料】:団体30名以上・・・1名300円  個人・・・1名400円

雪野寺跡宝篋印塔 境内宝篋印塔
雪野寺跡宝篋印塔 境内宝篋印塔
龍王寺東 川守天神社 雪野山古墳 ハイキングコース
龍王寺東 川守天神社 雪野山古墳 ハイキングコース
雪野寺跡から出土した塑像 雪野寺跡から出土の風鐸
雪野寺跡から出土した塑像
童子形(複製)
雪野寺跡から出土の風鐸
(複製)
軒丸瓦 雪野寺跡から出土した塑像
雪野寺跡から出土
軒丸瓦(複製)
雪野寺跡から出土した塑像
神将形・菩薩形(複製)

法起寺式
法起寺式 雪野寺伽藍配置図
雪野寺伽藍配置図


雪野寺〜龍王寺の歴史

時代 推移 西暦 和暦 龍王寺の歴史
奈良





710年 和銅3年 元明天皇の勅令で
行基により「雪野寺」として創建
777年 宝亀8年 小野時兼が釣鐘を寄進
平安 1007年 寛弘4年 一条天皇から「龍寿鐘殿」の勅額を賜る
これにより
「雪野寺」から「龍王寺」と改称
1078年 承暦2年 平泉寺(福井県)の衆徒による放火で被災
室町
1446年 文安3年 佐々木時網の兵火で被災
当時、千坊千人の衆徒があったという龍王寺も灰燼に帰した

その後、仮堂を営造。
再建が出来ないままの状態であったが
将軍足利義政、義春らの奉加が寄せられる
1539年 天文8年 佐々木忠頼、義賢らも奉加
江戸
1647年 正保4年 行海が再建を計画
遠近諸国を遍歴して有志の浄財を募る
1654年 承応3年 堂宇を再建して寺観を整え面目を一新
1787年 天明7年 宣楽院公尊法親王の直筆
「醫王殿」の書を賜る
1811年 文化8年 大改修
1820年 文政3年 大改修
明治
再三の水害により寺田を失う等、住僧の安住を脅かし時には無住僧となった時もあり千古の名刹も廃頽。
わずかに現存の堂宇を残すのみとなり法灯を護り継いて現在に至る
昭和



1928年 昭和3年 杉本千外が天台宗の秘法・喘息病封じ「へちま加持祈祷」を始める
その後、野村光巌、仙波玄俊
仙波覚俊が引継ぐ
平成



仙波覚俊没後
日野町松林寺の住職牧川栄俊が代務にあたる。
平成28年より牧川栄俊が引き継ぐ

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龍王寺の宝物 重要文化財等

薬師瑠璃光如来(町指定文化財)平安時代後期作
薬師瑠璃光如来 龍王寺本堂
薬師瑠璃光如来 龍王寺本堂
帳の間からわずかに見える
薬師瑠璃光如来像
龍王寺本堂
秘仏・薬師瑠璃光如来を
現わした仮の仏様が前に
座っておられます
御本尊は、薬師瑠璃光如来(薬師如来)で脇壇には日光菩薩、月光菩薩、十二神将(重要文化財)がお祀りされてあります。薬師瑠璃光如来像は、高さ一、三五メートルの木造で平安時代のものとされています。

長い間、秘佛とされ往時は三十三年に1度の御開帳、昭和に入ってからは年に一度、中秋(8月15日旧暦)のみの御開帳でしたが、医を司る仏様(薬師瑠璃光如来)を信仰する全ての人々が直接拝むことができるように、近年は常時開扉しております。

木造十二神将立像(重要文化財)鎌倉時代後期
木造十二神将立像 龍王寺本堂
木造十二神将立像 龍王寺本堂 木造十二神将立像 龍王寺本堂








ご本尊の左右に六躯づつ安置された木造十二神将立像は、像高約75cmの甲冑に身を固めた武将の姿で、頭上には「子、丑、寅、卯・・・・」の十二支が一つづつ乗せられています。
鎌倉時代に彫られた仏像で重要文化財に指定されています。

醫王殿(いおうでん)の書
醫王殿(いおうでん)医王伝の額 龍王寺本堂龍王寺の本殿(堂)中央頭上に掲げられている大きな「醫王殿(いおうでん)」と書かれた額は、光格天皇の御代、天明七年(1787年)宣楽院公尊法親王の筆によるもので、習性の病気平癒の仏様であると言われる薬師如来を御本尊としているこの寺の本殿(堂)の象徴でもあります。
このように醫(医)を司るといわれる仏様(薬師瑠璃光如来)が祀られている本殿を天台宗においては特に「医王殿」と申し龍王寺にて「喘息病封じ加持祈祷」が行われている所以であります。


梵鐘(重要文化財)奈良時代 龍寿鐘殿の勅額
梵鐘 重要文化財
多くの歌人に
野寺の鐘」と
詠われた梵鐘
光仁天皇の宝亀八年(西暦777年)奈良時代に大和国(今の奈良県)吉野郡の住人、小野時兼が寄進したとされる龍王寺の釣鐘は、高さ1.16メートルで、草の間は広く、乳頭や撞座は簡素に仕上げられて、龍頭(りゅうず)は優美に鋳造。他に見られない特異性をもつ古鐘で、無銘ではあるが国の重要文化財に指定されています。
この梵鐘は、本堂が火災にあったとき鐘堂から水を噴いたり、心がけのよくない人が撞いても鳴らなかったなど不思議なことがあったり、旱魃の時にこの梵鐘に雨乞いをすると慈雨に恵まれるなど、霊験あらたな梵鐘として遠近に名高くなったことから
鐘撞堂平安時代、寛弘四年(1007年)この梵鐘のことが一条天皇のお耳に入り、「龍寿鐘殿」(りゅうじゅしょうでん)の勅額(直筆の額)を賜ったので雪野寺は寺号を龍王寺に改めたのであります。
梵鐘の龍頭
梵鐘の龍頭
現在、龍王寺の梵鐘の龍頭は、つねに白い布で覆っています。
この布をはずすと不思議と大雨が降ることから、雨乞い時以外はけっして龍頭をあらわにしません。
この鐘は「野寺の鐘」と多くの歌人に詠われています。(後述)


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梵鐘に残る美女と大蛇の伝説
大蛇の姿絵龍王寺のシンボルとして、この鐘には小野時兼と美和姫の一つの悲しい恋の物語が残されています。
宝亀八年(777年)、河森村(今の竜王町川守)に大和国吉野郡出身の美男、小野時兼(おののときかね)という人がいました。
有る日、美しい女性(美和姫)が妻にしてくれと現れます。二人はとても幸せに暮らしていましたが、その三年後、突然妻は「私は、まことは人間ではありません。前世の宿因によって妹背せの語らいをなしましたが、実は私はこの雪野山の背面にある平木の御沢の主でございます。私を思って下さるならば、百日目に平木の沢に来て下さい。そしてこれを形見としてください」といって、玉手箱を残して去っていきました。
時兼は恋慕の情に堪えず、九十九日目に平木の沢に行って歎くと妻は長さ十丈(約30m)ばかりの大蛇となって現れました。
龍王寺の白水の池
平木の沢に繋がっているとされる
龍王寺の白水の池
大蛇になった妻は、また水の中に静かに姿を消していくと池の水は真っ白に濁り、今でも平木の御澤神社にあるその池は白水池といわれています。
時兼が恐ろしさのあまり家に帰り、玉手箱を開けてみると中より紫雲と共に龍が刻まれた梵鐘が出てきたのであります。この鐘を雪野寺に寄進されたのが竜鐘と言われ、国の宝として伝説と共に龍王寺に安置されております。

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雪野寺(のちの龍王寺)を詠んだ歌
雪野寺(のちの龍王寺)は、「野寺」として数多くの歌人たちによって詠まれています。

和泉式部 暮れにきと 告ぐるを待たで 降りはるる 雪の野寺の 入相いの鐘
柿本人麻呂 鐘暗き 野寺の松の 木の間より 山ほととぎす 声ぞ落ちくる
藤原定家 昨日観し 花のあたりに 夜はふけて 野寺の鐘の 声ぞ聞こゆる
藤原家隆 一もとの 野寺の花は 散り過ぎて 古りたる池に 蛙鳴くなり
鐘の音に 鴨の羽音も哀れなり 野寺の雪の 有明の空
宵に聞く 同じ野寺の鐘の音に あわれは今ぞ 尽き果てぬべき
藤原信実 深き夜は 誰ぞ待たるる 寝覚めして 野寺の鐘に 袖濡らすらん
藤原俊成 更けにけり 霜もや今はおちかたの 野寺の鐘に 月はすむなり
慈鎮(慈円) 有明の 月の行方を眺めてぞ 野寺の鐘は 聞くべかりけり
暮れて尚 跡なき雪に 分け相ぬ 野寺の鐘よ 音は何処に
三条西実隆 今日よりは 秋の聲ぞと聞ゆなり 野寺の鐘の 暁の空
大江匡房 蒲生野の しめのの原の 女郎花 野寺に見するも いもが袖なり

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行事

秘法・喘息封じ(へちま加持祈祷)
秘法・喘息封じ(へちま加持祈祷) 龍王寺
龍王寺は通称「ぜんそく寺」「へちま寺」とも呼ばれております。
古来より「医」を司る薬師瑠璃光如来をお祀りし、宣楽院公尊法親王より「醫王殿(いおうでん)」の書を賜っている龍王寺では
毎年旧暦8月15日(中秋)に、天台秘法・ぜんそく病平癒の加持祈祷が行われ、近畿一円、遠くは関東、四国、九州からも多数の信者が参詣されて終日賑います。

へちま加持祈祷はこちらです→

行事
中秋(十五夜の日の朝から) ぜんそく病根治 へちま加持祈祷
毎年日が変わります


龍王寺へのアクセス
龍王寺へのアクセス

天台宗 雪野山
龍王寺(りゅうおうじ)
〒520-2521
滋賀県蒲生郡竜王町川守41
(妹背の里の近くです)





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【電車・バスの場合】
JR琵琶湖線「近江八幡駅」から「ダイハツ竜王行き」近江バスにて「川守」下車、徒歩8分
【車の場合】
名神高速道路「竜王IC」から約10分
大型バス可の駐車場あり
「妹背の里」(いもせのさと)を目指してお越しください
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滋賀県蒲生郡竜王町川守41
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