| H元服の折使用の盥(たらい)の底板 |
義経が元服する時に使ったといわれる盥の底板が現在も残っています。
これは「鏡の宿」(滋賀県竜王町)の長者、白木屋の沢弥傳(さわやでん)家が代々家宝として残してきましたが、昭和5年に家系が絶えたので現在は鏡神社で保管されています。
また底板が半月板のようになっているのは、戦時中出征される人が武運を祈り、お守りとして少しづつ削り取って戦地へ持って行かれたためと伝えられています。 |
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| H盥の底板 |
I八幡神社 |
J源義経宿泊の白木屋跡 |
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| I源義経公と応神天皇を合祀 「八幡神社」(はちまんじんじゃ)鏡神社の境内社 |
鏡神社の参道石段をのぼった右手に小さな社があります。
このお社には応神天皇(五世紀頃)と源義経公が合祀(ごうし)されています。
応神天皇は誉田別尊(ホムダワケノミコト)ととも言われ、兵法にすぐれ国を栄えさせ学術技芸を栄えさせた長寿の天皇とあります。
したがって兵法にすぐれたと言う点で源九郎義経公に合い通じ、共に合祀されたものと思われます。
この神社は、鏡神社の境内社(末社)のため、あまり知られていませんが、元服後の判官義経公を祀り、他の境内社と異なり京都鞍馬の方角に向けられています。 |
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| J源義経宿泊の白木屋(しらきや)跡 |
承安4年3月3日に京都の鞍馬寺より奥州下向の途中、近江の「鏡の宿」(滋賀県竜王町)に着いた牛若丸一行は、当時の宿駅の長(おさ)であった澤弥伝(さわやでん」の「白木屋」の旅籠に泊まりました。
追っての目を欺くため、急ぎ髪を切りただひとりで元服することを決意した牛若丸は、源氏の左折れ烏帽子を烏帽子屋五郎太夫(えぼしやごろうたゆう)に折ってもらい、それを冠して元服し源九郎義経となる義経誕生の地です。
昭和30年に台風のため屋敷は壊れてしまい、取り除かれて現在は石碑のみとなっています。取り除かれるまでは、義経にあやかる男児の「とがらい祭り」の斎場として使われていました。烏帽子屋五郎大夫の屋敷は廃絶し民家裏側の竹やぶになっています |