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旧東山道、中山道の国道8号が通る竜王町の北西部は、広域からの玄関口。
鏡山の山麓周辺は古代から中世にかけての歴史の宝庫として名高いエリアです。
鏡神社には、製陶技術を伝えた新羅の皇子「天日槍」(あめのひぼこ)が祀られ、鏡をこの地に納めたとも伝えられています。
周辺には、須恵器を焼成した登り窯の跡地が見られる渡来文化伝承の地です。
町内には須恵、弓削、薬師、綾戸といった渡来文化名残の地域があり、古からの人の技「匠」を感じることができます。 |
| 街道と鏡宿 |
| (かがみのしゅく) |
古道-東山道-中山道-国道と、古代より現在までの道です。
鏡は、街道によって拓かれた里で、ここを往還する人は、それぞれの夢を描きながら通りました。
鏡の里は、その人々により歴史がつくられ、また、里の人々はそれを吸収し、努力によって文化を生み守り伝えてきました。
鏡は平安末期より、鎌倉、室町時代までは宿場としての賑わいをみせていましたが、江戸時代に入ると、「守山宿」と「武佐宿」の間の宿(あいのしゅく)となってしまい、宿場の指定から外されてしまいました。
しかしながら本陣、脇本陣も置かれ、特に紀州侯の定宿で、皇族、将軍家の御名代をはじめ多くの武士や旅人の休憩の宿場町としての役目を果たしてきました。 |
| 宝篋印塔 |
重要文化財 |
| (ほうきょういんとう)手前 |
伝教大師(最澄)が鏡山十二峰の一つ星ケ峰の麓に建立した西光寺が、信長の兵火で廃寺となり、その名残にそっとたたずむ塔です。
総高210cm、笠石の下の塔身の周囲は180cmです。2段の基壇を築き、その上に孔雀の向かい合っている格挟間を彫った基礎を置き塔身、笠、相輪を積み重ねています。石の角に梟(ふくろう)の彫刻は珍しく、国の重要文化財に指定されています。
鎌倉時代後期1300年頃の作。 |
| 石灯篭 |
重要文化財 |
| (いしどうろう)奥 |
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西光寺の鎮守、八柱神社(やばしらじんじゃ)の社宝で高さが2.8mもある背の高い灯篭です。
八角柱の灯篭は特に珍しく、また笠を持ち火袋には四仏が彫られていて誠に優美な意匠を凝らした灯籠です。重要文化財指定。室町時代初期の作。 |
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| 鏡神社 |
重要文化財 |
| (かがみじんじゃ) |
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南北朝時代の建築で「日本書紀」にも記されている朝鮮半島の新羅(しらぎ)から陶製技術(渡来文化)を伝えた天日槍(あめのひぼこ)を祀る神社です。
本殿は三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)の、こけら葺(ぶき)で国の重要文化財に指定されています。 |
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| 源義経元服池 |
| (みなもとのよしつねげんぷくいけ) |
遮那王(牛若丸)が京の鞍馬山より奥州平泉へ向かう途中、鏡宿(白木屋)に泊まった際、前髪を落として元服したと伝えられる池。源九郎義経と名乗ったのが16歳であったと伝えられています。
謡曲「烏帽子折」(えぼしおり)にもでてきます。 |
| 源義経元服の盥 |
(げんぷくのたらい) |
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義経が元服する時に使ったといわれる盥の底板が現在も残っています。底板が半月板のようになっているのは、戦時中出征される人が武運を祈り、お守りとして少しづつ削り取って戦地へ持って行かれたためと伝えられています。(鏡神社で保管)
義経元服ものがたり |
| 義経の烏帽子掛松 |
| (よしつねのえぼしかけまつ) |
| 鏡神社の参道には、義経がただひとりで元服後、参拝したときに鳥帽子をかけたとされる松があります。明治6年台風で倒れたため株上2.7mを残し石垣上に仮屋根をして保存されています。 |
| 義経宿泊の館(白木屋)跡 |
承安4年3月3日に京都の鞍馬寺より奥州下向の途中、近江の「鏡の宿」(滋賀県竜王町)に着いた牛若丸一行は、当時の宿駅の長(おさ)であった澤弥伝(さわやでん」の「白木屋」の旅籠に泊まりました。 |
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| 御幸山 |
| (みゆきやま) |
| 大正時代の陸軍大演習の際、時の県知事が「御幸山」と命名。古松が数多く生息し、頂上からの景観は美しく、4月下旬〜5月上旬には町の花「あえんぼ」(コバノミツバツツジ)が咲きます。 |
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| 鏡山ハイキングコース |
標高384.8mで、古今和歌集等数多くの歌が詠まれた近江名山のひとつです。
貴重な動植物が生息し、歴史・文化・自然が満喫できます。御幸山と同様町の花「あえんぼ」(コバノミツバツツジ」が咲き、ハイキングコースも整備されています。 鏡山ハイキングコース |
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| 道の駅 竜王かがみの里 |
源義経の烏帽子の形をした屋根が目印です。竜王町の特産品等の販売及び情報の発信拠点になっています。
なかでも新鮮な野菜・焼きたてパンは好評で、その場で近江米も精米し販売しています。
道の駅竜王かがみの里 |
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